陰翳礼讃

村上隆さん。
正直に言って、僕はこの人のことにはあまり興味がなかった。あのアニメのキャラクターみたいな絵画?(イラスト?)やフィギアをアートと呼ぶのは抵抗があった。ましてや、芸術と呼ぶなんて馬鹿げてると思っていた。

お祭り騒ぎが大好きな頭のわるいマスコミに持ち上げられた、処世術に長けた山師だとも思っていた。
国内の馬鹿マスコミはともかくとして、音楽や映画、演劇、アートには辛口な批評が多いヨーロッパなどのマスコミも村上アートを持ち上げてる現実には大きな違和感があった。

ところがあるとき、日本画をベースにした琳派の「風神雷神図」のような構図に、氏独特のキャラクターが描かれた屏風絵を見た時に、「これはただ者じゃないな…」と感じた。
で、一度そんな風に思い始めると、今までは嫌悪していた村上アートが、なんとなく、そして徐々に、僕の中でアートとしての資質を持ちはじめた。
確かに今様の大量消費されるアートなんだけど、消費されそして消えてくその他多くの流行り物と同じに、十把一絡げとしてごみ箱に放り込んでしまう数々とは大きく質が異なることに気づいた。……ような気がした。

なるほどそうなのかと思い返してみると、あのアニメキャラみたいなフィギュアなどには未だに抵抗は大きくあるけれど、村上隆はアートの様式そのものを大きく変えたのだなと理解するに至った。……ような気がした。

で、ここからが本題なんだけれど、そんな村上隆のアートにすこしづつ侵食され始めた私は、Instagramで氏をフォローしている。氏は完成された作品とあわせて、製作中の作品やアトリエの写真などもアップしているので、「作品」そのものはもとより、その作品が出来上がっていく「過程」「工程」や制作環境に興味津々の私としてはとても気に入っている。

他にも、国内、国外を飛び回って関係しているアート展の情報や作家たちを紹介していてとても楽しい。

んでっ、今日アップされた写真がコレ

 

 

これは美しいと思う。
いくら無粋な僕でもこれは美しいと思う。
たぶん見えない向こう側に花を活ける穴が穿ってあるのだろう。花器や器(うつわ)は、上が開いているという常識に抗うような、マッシュルームのような、漂うクラゲのような造形が新鮮に眼に飛び込んでくる。


置かれた佇まいがいい。
薄鼠の色もようがいい。
釉薬のタレ具合もいい。
その釉薬のヒビもいい。


ひと枝活けられた紅梅との構図が何よりも美しい。
これ以上なにも足すことが必要ない、足すことを拒む美しさがある。

もう一つ特筆すべきことは、影だ。
こ花器と活けられた紅梅、その造形が作る影。
淡い梅の影。
置かれた台の作る平行線と対となる、窓から差し込む光を遮る影。
三色旗のような構図がとにかく美しい。
谷崎潤一郎の言う『影』とはまさにこのような陰影なのだろうと強く実感する。

これはもしかしたら、カメラマンを褒めるべきなのかもしれない。
村上隆本人なのか、展示会の担当カメラマンなのか知る由もないけど、この
美しさを切り取ったカメラマンの眼が素晴らしいと思う。
たとえそれがまったくの偶然だったとしても、その偶然を捕らえたカメラマンを褒めたい。
まったくこの一枚の写真には驚かされた。

写っている物がいいのか、写っている景色がいいのか……?
たぶん、どっちもいいのだろう。

 

 

 

この花器を造ったのは、『山田隆太郎』という32歳の”若手”陶芸家だそうだ。
なにやら、写真で見る風貌もいいね。
川越市のギャラリー「うつわノート」という所で古典が開催されているという。
写真で見ると、古い民家のようだ。川越という土地柄の古い豪商の家だったのだろうか。

 


どうやら、村上隆は若いアーティストのまとめ役というかボス的存在で、彼ら、彼女らの作品展、アート展ののプロデュースとプロモーションを積極的に引き受けているらしい。
このインスタのアップでは『値付け』について軽く言及しているのところをみると、氏は『値のつくアート』『売れる芸術』、『食える作家』ということについても強く思考しているらしい。
とかく、芸術と金とを切り離したい理想主義的な大衆と、食う、もしくは食わせることに重きを置いた村上隆の立ち位置は歓迎するべきだと思う。

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